2011年03月21日

社交辞令

「失われたものが大きいなら、
 ならばこそ、それを十分に穴埋めすることはもちろん、
 その悔いと空虚を逆の力に応用させて
 それよりもっと優れた物を創る。
 そう決意すればなんでもない。(岡本太郎)」


心配してくださった方々、ありがとうございます。
私は無事&元気です!
自宅作業の一週間を過ごし、明日から通常業務に戻ります。
被災者の皆様の心の平穏を祈りながら、
自分の仕事をすることで、手助けします。
私の仕事もまた、現在と未来の社会に必要不可欠な歯車の一つだから。


しばらくぶりに書いた日記ですが、
以下、暗いのでたたみます。

書こうと思って、かけなかったこと。
2月は、沢山のものを失い、挫折感を味わった月でした。
そして、3月は自分を振り返り、一歩を踏み出そうとしている月です。

自分がいやになって、落ち込んで、
人から心配されて、申し訳なくなって。
自分を許せないのだと分かっていながら、
変わることを拒んでいた。

私に優しさや同情なんて、かけてもらわなくて良い。
そんな価値はないんだ。

私が優しい言葉を誰かにかけるとき、
心にモヤモヤが生まれる。
ただの偽善なんじゃないかって。
ほんとは、全然これっぽっちも心配なんてしてないのに、
円滑に関係を続けていくために言ってるんじゃないかって。

あぁ、弱いんだなぁって思う。

誰かに強い言葉で、詰問されると
思わず激しい口調で言い返すか、しゅんとしてしまう。
まるで、自分を責めるなと言いたげに。


優しくしたいのに
優しくしてもらいたいのに
優しくなりたいのに。


弱さと優しさは共存できないんじゃないのかな。
自分の心を安定させられないのに、
どうやって、相手が望むときに、相手に手を差し伸べられるのか。
沈黙にある助けを求める声にどう気づけるのか。
その優しさは、ただの甘さじゃないのか。
私の中で優しさと甘さの区別がつけられない。

心の中に一本の牙を。
自分を奮い立たせるための鋭い牙を。
強くなければ、自分の行動に、自分で責任をとれないから。

本当の孤独は、人とのつながりの中にあると思う。
いつどこで誰と何をしていてても、私が揺らがないだけの強さが欲しい。

支離滅裂だけれども、
書くことでちょっとでも、自分と向き合える気がするから、
残しておこう。
posted by 5月ウサギ at 23:38| Comment(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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